マーク・オッキルーポ
誕生日: Thursday, June 16, 1966
出身地: Kurnwell, NSW, Australia
スポンサー: Billabong, Globe Shoes, JS Industries, Hoven Sunglasses, Ammon Watches, Skoda
スタンス: グーフィー
好きなポイント: Kirra, D-Bah (Aus), G-Land (Indo), Pipe (Hi)
車: Skoda Octavia
誰もしくは何からインスピレーションを受ける?家族と完璧な波
誰を尊敬している?Gordon Merchant

オージーのサーファーで、Mark Occhilupoほど多くの心とマインドをつかんだアイコンはいない。この男は、この国の永遠のスポーツレジェンドとなるだろう。

1966年6月16日
Mark Occhilupoという名の男の子がこの世に誕生する。彼の将来には何が待っているのだろうか...

1975年
9才で、南シドニーにある故郷Kurnellの近くのCronullaのビーチでサーフィンを始めた時、彼の長く、激動のキャリアが始まった。

1982年
彼が生意気になり始めたのは、10才で学校をさぼり(辞め?)、16才で荷物をまとめてツアー人生に出てからだった。ブロンドのグーフィーは、後年のプロサーフィンのシーンを揺るがすだろうと言われ始めた。

1987年
すでに評判の高かった21才の彼は、ハリウッドのサーフ映画「ノースショア」に役をもらった。Occyは、同時代のレジェンド、トム・カレンと共に、ワールドサーフィンの流れをいつの間にか形成していた。

1988年
この頃からいろいろなことが崩壊し始める。Occyはワールサーフィンの世界から少しずついなくなり、忘れられていった。次の数年間、彼は肥満と鬱、またその他にも個人的な苦闘を繰り返した。アスリートが得られる最も輝かしいキャリアを、もはやOccyは捨て去ろうとしているかのように見えた。

1995年
1995年を迎えた頃、彼は戻ってきた。厳しいトレーニングと、打ち込みの精神、そしてハードワークの積み重ねを経た後、世界中の賞賛者やファン達にとって嬉しいことに、Billabong Challengeに出場して彼自身のウェルカムパーティーとした。

1996年
この年、WQSの20位にランクインし、トライアルを勝ち抜いてPipeコンテストに優勝した。再起の最中、この「レイジング・ブル」は、Jack McCoyと組んで長編フィルム「オキュメンタリー」をプロデュースし、サーファーとしての彼の人生をフィーチャーした。

1997年
この年は、Mr. ケリー・スレーターに続いて2位で終わった。彼はゲームに戻ってきただけでなく、ワールドタイトルに限りなく近いところまで行き、昔と同じように支配的なレベルのサーフィンを取り戻した。

1999年
ドリームワールド(テーマパーク)のジェットコースターよりもアップダウンのある人生を経て、彼はとうとう頂点に達した。Mark Occhilupoは世界タイトルを獲得した。ずいぶん長いこと待ったと、たくさんの人々が思った。

2003年
OccyのパートナーのMaeがJayを産み、Occyはダディーとなった。JayはのちにJ-Bayの砂の上で洗礼を受けた。

2004年
Maeと結婚し、Occyは夫にもなった。ウェディングリストには 、プロサーフィン界の名士達が名を連ね、’CT仲間のシュレダーLuke Eganがベストマン、旧友のMargoがグルームズマンを務めた。

2005年
この年の始め、今年が最後になると発表した。始めた頃の目標をすべて達成し、彼のサーフィンがまだ力強い間に気分良くリタイヤするというのが、彼の理由だった。トップ45の仲間達と一緒に居続けるプレッシャーは、後にリタイヤ声明の撤回へと繋がった。

2006年
2005年を19位で終えたOccyは、ツアー史上最年長であろうとも、そこにいる権利はすべて持っているのだという認識でツアーに挑んだ。

歳が半分以下の選手達がいる中、彼が最も得意とするBells Beachで3位に入り、Occyは老犬でもまだまだいけることを証明した。17位で終わった複数の大会と、参加が決まっていたブラジルのNova Schin Festivalへの違反欠場は、Occyを26位まで引きずり下ろしてしまい、残りのシーズン中ずっとそのポジションにいた。しかし、彼よりもっと若い大勢のライバル達と違い、Occyはツアーに残った。

2007年
’07年はツアーが好調の年ではなかった。ただしそれは成績の話で、業界でも高度なテクニックを持つ男はとても楽しんでいた。まだ炎が燃えている様子や、Occyのベストの状態を垣間見た我々は(フランスでのBedeとのヒートはエピックだった!)、彼がこの年、名誉あるキャリアの中で築いて来たファミリーやフレンズに対して、別れを告げているのではないかと感じた。彼の再終幕は17位や33位などのまとまらない成績で、結局この年を45位で終えたが、この年はツアー史上で最も波のコンディションが悪い年の一つでもあった。

Billabong Pipeline MasterがOccyの最後のイベントとなった。フルタイムのツアープロとしての最後のヒートを親友のTroy Brooksと戦い、旧友のツアーバディーでありBillabongレジェンドであるLuke Eganにビーチまで担ぎ上げられた。20年に及ぶワールドサーフィンの頂点を経て、人生の一幕を閉じるのは、Occyにとってエモーショナルな瞬間だった。

Occyのトリビュートホームページ:www.billabong.com.au/occy

2008年
2008年初頭、ゴールドコーストで行われたASP Ballで、スポーツに対する偉大な功労と貢献が称えられ、Peter Whittaker賞を受賞した。過去の優勝者達や、現在の優勝者達、将来の優勝候補者達、そして古い友人達で埋め尽くされた会場で、Occyは目に涙を浮かべながら笑顔で賞を受け取った。その時、Occyは彼らしい大ウケなスピーチを行った。「ちょっとスピーチのトレーニングをしてきたんだけど・・・(10秒の間)。こうしろと言われたので効くかどうかやってみたかったんだけど、どうやら本当に効いたみたいで・・・。」

Occyは、今後もBillabongブランドの大使であり続ける。有名なOCCY’S GROM COMPのグローバルシリーズは計画進行中で、コメンテーターやスペシャルイベントのワイルドカード出場なども行う予定。その他、オーストラリアのFuel TVでプレゼンターとしてのレギュラー出演が決定している。